Monologue

12.全体最適化の罠 (2021/2/22)

1)経済学でいうところの罠

 経済学を学んだ人であれば誰でも聞いたことがある言葉に「流動性の罠」があります。そもそも、貨幣が無い、物々交換の時代には利子というものが存在しませんでした。いつでも欲しいものと交換できる貨幣が生まれ、つまり、貨幣により流動性が生まれ、利子という考え方ができました。
 銀行は、流動性の高い貨幣を得るには、利子を支払ってでも預けてほしいと考えます。銀行は、中央銀行からお金を得て、商売をしますので、中央銀行からの貸出金利が低くなれば、銀行は中央銀行からお金を得て、結果として通貨の供給量が増えて、投資も増えるであろうという考えになります。しかし、この中央銀行の金融緩和策により、利子率が著しく低下した場合は、通貨の供給量を増やしても投資を増やす効果が弱まるというものです。
 つまり、通貨の供給量を増やし、流動性を高めようという考えも、行き過ぎると効果を生まなくなるというのが「流動性の罠」の考えです。
 最近は、「債務の罠」という言葉もよく見かけるようになりました。国家間の国際援助として、融資をして開発を支援するということがありますが、過大な融資を受けてしまった債務国が、当該債務を返済できなくなり、債権国からの政策や外交、インフラ運営等の拘束を受けることになってしまうことをいいます。一般社会でいわれる、甘い言葉には気を付けなければならないというようなことと同じことです。 
 ここで例題に挙げた「罠」には共通点があります。それは、ある1面から見た場合に正しいと思えたことが、他の面から見た場合に正しいとはいえなくなるということです。
 社会の課題に対して解決策を考えようとする時、その方向性として「全体最適化」を考えることが当然だと考える人が居ます。当たり前の様に「全体最適化」を主張しますが、果たしてそれが正しいといえるでしょうか。もう少しよく考えてみる必要があるかもしれません。

2)イデオロギーによる違い

 共産主義や社会主義というイデオロギーがあります。定義は色々とあるようですが、財産を社会で共同所有するという方法で、平等な社会をめざすという考え方だと思います。現在では、資本主義国の経済発展とソビエト連邦の崩壊等から、共産主義という考え方を否定し、イデオロギーは終焉したということをいう人も居ます。
 多くの人の幸せを願うという目的は同じでも、それを達成しようとする手段の違いにより、進む方向が違ったといえますが、「全体最適化」を図ろうという目的も、「平等」を第一として考えた場合と、「自由」を第一と考えた場合では、その実施方法は変わるということになります。イデオロギーは終焉したと考える人からすれば、どちらを選ぶかは歴史から学べば自明であって、最終的に豊かな社会に近づけられるのは、「自由」が重要であり、競争のある社会だということになるのかもしれません。しかし、「全体最適化」を主張する多くの人は、現在も「平等」を選ぶ傾向にあるように思います。
 ITの社会では、システムの発展は、「平等」、「自由」、「競争」が入り乱れています。初期の段階では、まさしく資本主義の考えの元で発展を遂げてきました。効率重視の社会がそれを支えてきました。しかし、インターネットの発展により、当該部分に関しては、社会主義的な発想が受け入れられるようになってきます。同時にUNIXというOSが発展し、更にGNU(GNU is Not Unixといわれる)といわれるOSとそのフリーソフトウェアが多くのIT技術者に受け入れられるようになってきます。GNUのソフトウェアは、GPL(GNU General Public License)という許諾書に従って利用されるようになります。当該ソフトウエアは、その詳細な記述内容を公開する必要があり、著作権を放棄し、二次的著作物も著作権を放棄することが求められます。誰でも無償で利用できますが、商用利用に対しては制限が課せられます。そして、当該ソフトウェアは、無保証ではありますが、社会で共有されることから、多くの善意の人達が検証することでその動作を信頼する事ができるというものです。
 このようにして、善意の第三者によるグループが共同管理するソフトウェアが誰でも自由に活用できるという世界が当たり前になっています。ITの世界は、仮想の世界でもあり、現実の人間社会で受け入れられない考え方であっても、それを受け入れられる人達だけの部分的システムであっても、いつでもどこからでも誰でも使えるシステムとして生き残っていくことができるようになりました。また、今ではこのライセンスの考え方もGPLだけではなく、色々な考え方が存在します。
 「全体最適化」という目的も、それを活かす社会のイデオロギーによって、その手段が異なってくるといえます。

3)志向による違い

 ミクロ経済学の基本的理念に効用という考えがあります。消費者がものを消費する時に得られる主観的な満足度の度合いのことです。「全体最適」とは、社会(組織)全体の効用が最大化されていることになります。「部分最適」という言葉も存在しますが、これは、社会の一部に対してその効用を最大化するという考えです。
 「全体最適」と「部分最適」という2つの言葉を並べただけであれば、多くの人は「全体最適」を選択するものと考えられます。しかし、「全体最適」を実現する方が、ハードルが高いということもあり、「部分最適」を図り、その後に「全体最適」を考えた方が現実的だということもよくあります。「先ず隗より始めよ」という言葉もありますし、「トリクルダウン理論」(富める者が富むことで、貧しい者も自然に豊かになっていくという考え)という考えもあります。逆に「トリクルダウン理論」が格差社会を助長するという考え方もあります。ミクロ経済学では、消費者は、与えられた制約の下で、各自の効用の最大化を図ろうと行動することを前提としていますが、実社会には、一般的な効用を求めない人も存在します。
 実社会では、人はそれぞれ考え方が違います。この志向の異なる人達の「全体最適化」とは何処を目指すのかという問い掛けに簡単に答えを出そうとするのは無理があります。果たしてそれが正しいのかを問い直すことを忘れないようにしなければなりません。

4)答えは1つではない

 とても勉強のできた人が実社会ではあまり役にたっていないということが現実にはよくあります。学校の勉強では、多くの場合、答えは1つです。数学は、理論的だから好きだという人も沢山います。しかし、データ分析において、分析の仕方は様々ですが、分析結果の解釈の仕方も様々です。
 最近は、何かわからないことがあれば、ネットで検索して調べるという人が沢山います。私は、直ぐに回答を求めようとする傾向が強すぎるのではないかという気がしています。学校でも試験問題の答えが2つあることは稀で、逆に複数の答えがあった場合は、問題自体が間違いであったと考えることもあります。しかし、実社会において、答えが1つであることは稀だといえます。答えないことが正解であったり、逆転の発想で、「負けるが勝ち」という場合さえあります。
 「全体最適化」という答えを良しとせず、この「罠」にはまらずに、様々な視点で問い直すことが重要です。実社会の問題には、様々な解決策があります。「これしかない」という結論を出す前に、「なぜ」と問い直してください。今はこれしかないと考えたが、将来においてはどうであろうか、自分がこれが良いと考えたが、他の人はどうであろうか、異なる立場の人は居ないのか、リスクは存在しないのか等と考えることが大切です。
 データ分析の結果は、人の主観的な考えを押し付けるのではなく、客観性をもったものだという考えがあります。この考えは、間違いではありませんが、危険でもあります。1つの事実であっても、ある新聞では「30%しか存在しなかった」と書かれてあり、別の新聞には「30%も存在した」と記載されていたとします。客観性のある事実ですが、購読している新聞によって受け取り方が変わってしまいます。
 最近は「AI」がもてはやされます。しかし、「AI」の出してくる結果も受け取り方によって対応が異なります。また、流行っているからか、何でも「AI」を活用しがちです。有名な社会学者のマズローの言葉に「ハンマーを持つ人にはすべてが釘に見える」というものがあります。データ分析をする人は、謙虚でなければなりません。