Monologue

9.意思を持つ(2019/9/30)

 本ブログでは、用語の説明はしません。ネット上でこのブログを見ている方は、分からない言葉があれば、ネット上で検索して調べてください。但し、なるべく複数のサイトの説明を見るようにしてください。人によって物事の捉え方は異なります。物事を捉えるポイント、見ている視点、それを見た人の経験によって異なりますので、なるべくその内容の違い、ニュアンスの違いを感じるようにして読むようにしてください。

1)眼に騙されない

 眼に見えている像(情報)は、実際は網膜で受け取った光の刺激が、視神経を通じて脳に渡され、脳が理解しているものです。しかし、網膜に映った像は2次元の平面的な像であるはずですが、人は3次元の像として理解します。人には2つの眼があるから立体的に見ることができると考える人が居るかもしれませんが、片目を閉じて見える世界も立体的に見えています。
 網膜には穴が開いていて、視神経の束があります。つまりこの穴の部分では視ることができていないはずですが、見えている世界に穴はありません。盲点という言葉を聞いたことがあると思いますが、実際には見えていない盲点の情報を脳が補足することで穴を無くしているのです。
 つまり、脳は見えていない部分を見えている情報によって補うことで完全な像を見せています。また、2次元の情報も脳が補うことで3次元に変換することで常に立体的な像を見せています。更に、パラパラ漫画でも分かるように、実際にはスムーズに動いていない像であっても、スムーズに動いているように見せてくれます。コマ数は異なりますが、ビデオや映画も同様です。
 だまし絵や錯覚というものがありますが、この原理は、網膜で得た2次元の情報を3次元の動画に置き換えて理解しようとする脳の習性を逆手に取ったものということができます。脳は、実際には見えていないものであっても、その人が蓄積してきた過去の情報を活用して、ありそうな像を見せてしまいます。その人に都合の良いものが見えてしまうという事です。百聞は一見に如かずということわざがありますが、眼に見えている情報が正しいとは限らないという事にも注意が必要です。

2)脳に騙されない

 脳は都合の良い情報を見せるので騙されないようにしなければならないという話をしました。しかし、脳が情報で人を制御しようとするのは、眼に見えるものだけではありません。例えば、「梅干を見ると唾液が出る、尖がったものを見たり高いところに上ると筋肉が萎縮する。暗いところでは怖いと感じて足がすくむ。隣の人が自分の特別な何処かを見ている気がする。この先は、こうなる気がする。いや、こうに違いないと思える。」という様な経験はありませんか。全ては過去の経験から脳が判断しているだけで、そうではないのかもしれません。
 私は、植物のセロリが大嫌いでした。生でも、火を通しても、細かく刻んでも食べられず、匂いも味も大嫌いでした。大人になってのベルギー旅行でのことです。通りの両側にレストランが所狭しと並んでいて、多くの客が道路にはみ出て楽しそうに食事をしていました。その多くの客がバケツに一杯入った黒い貝を食べていました。ムール貝の白ワイン蒸しという料理です。バケツに入っているという見栄えの悪さとその量の多さに驚きました。しかし、多くの地元の人があれだけ美味しそうに食べているのを見て、食べないという選択肢はありませんでした。恐るおそる2人で1杯分のバケツを注文して食べてみると、驚いたことにバケツ一杯のムール貝が無くなり、もう一杯食べたいと考える自分がいました。更に驚いたことに、そのムール貝の白ワイン蒸しには、セロリが沢山入っていました。更に驚いたことに、その中のセロリだけを食べても美味しいのです。
 帰国後、早速ムール貝を購入して食べてみました。ムール貝が小ぶりであったという事があり、ベルギーで食べたほどではなかったのですが、美味しくいただけました。もちろん、セロリも美味しいと感じました。ついでに、生のセロリにマヨネーズを付けただけでかじってみたのですが、これもまた美味しいのです。ベルギーでムール貝の白ワイン蒸しを食べる前の私と、食べた後の私は何も変わっていません。セロリも同じものです。しかし、私の脳は、セロリは美味しいとラベル付けしてしまったので、私にとって、セロリは大好物に変わってしまいました。もう、セロリの独特な味や匂いを嫌いとは思えなくなってしまいました。
 こういった脳の行動を逆手に取った、脳を騙す方法があります。例えば、プラセボ効果というものがあります。偽の薬をよく効く薬だと偽って飲ませると、効果が無いはずの偽薬でも治癒する効果があるというものです。ピグマリオン効果というものもあります。期待を込めて生徒を指導していると、その生徒は期待を示さずに指導していた生徒より良い成績になるという話です。脳に騙されずに騙す側に立った方が得ですね。何事も悪い方に考えず、ポジティブシンキングが大事だという事でしょうか。

3)AIに騙されない

 最近は、AIが喧伝されています。AIは優秀になり、場合によっては人を超えることも可能になりました。しかし、AIは、情報が何もなければ、何も考えられません。なるべく質の良い、沢山の情報を学習することによって初めて優秀になります。
 AIは、人間の働きをまねて考えられたものです。遺伝的アルゴリズム、深層学習等があります。データにはない突然変異の様な情報を加えたり、与えられていない情報を自ら学習することで性能を上げるという様な事も行いますが、いずれにしても、予め定められた目的に従って、都合の良い判断ができるよう、蓄積した情報を調整することで、最適な答えを予想することができるというものです。脳も与えられた情報から自分の都合の良いものを導き出すという同じような性質があります。
 もう少し一般的な機械学習で考えてみます。複数の変数で構成された多量のデータを分析することで、モデルを定義し、当該モデルによって推測するという方法があります。過去の株式データから明日の株価を予測するという様なものです。将棋や囲碁の次の最適な一手を推測するよりは、単純なモデルです。このモデルの作成では、沢山のデータを処理することで、当該データの結果となるべく同じになるようにモデル式を調整するということになります。しかし、学習データと同じ答えになるように調整しすぎると汎化誤差という問題が出てきます。一般的なモデルにならないという事です。具体的には、学習データでは正しい答えが出せるが、学習データ以外のデータでは、大きく外れる推測をしてしまうという問題です。汎化誤差の問題は、AIでも発生します。ノイズとなるようなデータを学習させることで解決しようとします。
 AIは、都合の良いように考えるという脳と同じような特性があります。汎化誤差が発生しないような工夫はされますが、都合の良いように考えるという基本は変わりません。つまり、うまく判断しているように思えても、人の眼と同じように盲点がありえます。脳に騙されないようにするのと同じようにAIにも騙されないようにする必要があります。
 どんなに素晴らしいロジックのAIであっても、学習させるのは人ですの、抜けの無い正しいデータ、ありそうな間違ったデータを正しく学習させているかどうかは分かりません。例えば、人が判断した結果のデータを多量に学習させたとしても、間違った判断のデータであれば、学習した結果も間違った判断しかできません。AIの特性を理解し、騙されないようにしなければなりません。
 しかし、頑固な人は、自分の都合の悪いことを理解しようとはしませんが、AIは、データに無い情報を学習しようとする素直さがある分が少しましかもしれません。

4)記憶と思考

 人間の脳は、他の動物に比べて大脳皮質が発達しています。脳幹や大脳辺縁系等の身体機能を制御したり恐怖や快楽等の本能を制御したりする部分に対して、大脳皮質が大きく超えて進化して、言語を理解し思考や判断を行う大脳皮質が脳を制御するようになった時、理性や社会性という人間らしさが生まれるようになったと考えられます。
 人間の脳は、イルカより小さいですが、イルカより発達しています。人間は、手足があり、複雑な行動ができますので、それに応じて脳も発達しました。また、複雑な声を出すことができることから言葉を操ることができるようになり、言葉を話すことから文字が生まれ、様々な概念を理解できるようになり、大脳皮質が発達したと考えられます。人間より、身体能力が高い、眼が良い、鼻が良い、耳が良い動物は居ますが、サインは出せても言葉を話すのは人間だけです。言葉により、高度な理解ができるようになったという事です。
 AIは、正しい推測をするために汎化誤差を少なくしようとしますが、人間の脳も同じです。グーグルは、猫を判断できるAIを開発したという事でしたが、虎や豹は猫ではありませんし、小型の犬も猫と区別をするのは簡単ではないかもしれません。しかし、人間は、猫と犬の区別を瞬時で行いますし、猫の写真、顔だけの猫の置物であっても猫という判断ができます。これは、猫という言葉に対して、沢山の猫のイメージを当てはめているのではなく、猫の特徴を理解しているという事に他なりません。
 人間は、眼、耳、鼻、舌、肌から入った情報を記憶します。言葉でラベル付けして記憶します。また、体験した事柄、見知った物語を言葉とともに記憶します。全てではないかもしれませんが、ほとんどが、言葉とともに記憶されます。猫を思い出そうとすると、人によって異なる猫が思い出されます。猫の画像が直接思い出される場合もありますが、猫の特徴を思い出しながら猫の画像が作り出される場合もあります。
 人は、情報をなるべく汎化して記憶に残そうとします。正確に定義しすぎると正しい判断ができなくなるからです。汎化したものを組み合わせて新しいものを理解しようとします。例えば、「猫の様に丸まって寝ているおばあちゃん」という絵画があったものとします。おばあちゃんは、人間で女性です。しかも老人です。人間、女性、老人という言葉でおばあちゃんは記憶されており、猫の特性である丸まって寝ている姿と組合せたという事になります。正確な話ではありませんが、概念としてはこういうことです。
 つまり、言葉を使って汎化して記憶し、また、多くの汎化された言葉を使って新たな記憶が作成されます。この様にして、記憶は高次元化していくことになり、記憶と記憶がネットワークでつながり、知識が蓄積されることになります。脳がそうであるように、人間は汎化が好きな生き物なのです。もし、言葉ではなく、イメージ情報で汎化して記憶し、高次元化しようとすると膨大な記憶量になってしまいます。
 アインシュタインは、自然界の法則を考える中でE=mc2(2乗)という式にたどり着きました。多くの事柄を一般化していたら、究極の汎化と言える式に辿り着いたといえるかもしれません。相対性理論の様な難しい理論でなくとも、安全運転のコツ、恋愛の仕方、上司とうまく付き合う方法等の様に人毎に蓄積されたノウハウがありますが、全て汎化された概念若しくはその組合せで記憶されています。
 また、人間は蓄積された汎化された記憶をネットワーク化することで思考しています。記憶と思考は対の様な仕組みだと考えられます。

5)意志を持つ

 パターン化という合理的ですが思考を止めてしまう記憶方法があります。例えば、ベーコンエッグのベーコンはカリカリでなければならないとか、こういうものはこうでなければならないという判断基準や、こういう状態であればこうすることにしているという行動ルールの様なものを決めてしまうことです。子供の頃は、何でも自分で考えていたのですが、年齢を重ねるに従って、この様なパターン化が増えていきます。自分の経験に従って定めたパターンが思考を速くし、判断が速くなるという事です。
 しかし、嫌いな人の行動は、悪い行動にしか見えないというようなデメリットもあります。ベーコンエッグを焼く時、白身と黄身を別々に焼いた焦げ目の少ないきれいな目玉焼きには、柔らかくジューシーなベーコンの方が合うかもしれないという様な事には気が付かないかもしれません。私の通う西麻布の81という店では、スペインで修業したシェフが、日本料理の様な焼き魚を出してくれる時があります。見た目は日本料理のようですが、遠赤外線だけで焼いた焦げ目の無い焼き魚が供されます。違和感を抱く人もいるかもしれません。焼き魚という汎化された知識には、焦げ目が美味しいと記憶されているかもしれませんが、素直に新しいその美味しさを感じる人もいます。知識だけに頼らない子供の様な素直な判断ができる人です。
 新たな目で見なければ、新しいことは何も生まれません。固い頭では、新しいことは考えられません。AIでも、経験にない情報を学習しようという発想があります。しかし、AIは、将棋の手筋を推測していた時、それが時間をかけて考えた素晴らしい戦略に基づいた手筋であっても、それを囲碁の戦法に活用してはどうかという発想は浮かびません。
 人間は、生まれてから沢山の経験をします。泣けばミルクをくれたり、オシメを変えてくれるという事を覚え、お母さんが喜ぶことは良いことで、怒ったり、悲しんだりすることは悪いことだと学びます。自分を大切にしてくれる、愛情をもって接してくれるということに安心感を抱きます。人には役割というものがあるという事を覚え、組織の中での行動を学びます。遊び、スポーツ、勉強、奉仕、仕事等の様々な目的があり、複数の人が協力して物事を解決するという事も覚えます。
 人間は、AIのように単一目的遂行型ではなく、複数目的遂行型であり、しかも多重目的遂行型でもあります。汎化された知識をネットワーク化して、横に縦にもつなげます。多重目的遂行型であるということから、知識の活用が図られます。将棋の戦法を囲碁や仕事に生かそうという発想も湧いてきます。この様な柔軟な発想ができる人間がどれほどいるのかというと心もとない気もしますが、少なくともこの様な柔軟な発想ができる人が求められていると思います。
 人間は、知識のネットワークを築いていきますが、複数の目的で共通に活用できることは、それ以外の目的でも活用できるのではないかという推測が働き、その人の行動規範という様な知恵が蓄えられます。パターン化は、具体的な事柄で応用が利きませんが、行動規範は汎化された知識であり、多くの場面で応用が利く考え方です。行動規範は1つではなく複数蓄積されます。そして、複数の行動規範からその人の意志というものが形成されます。ほとんどすべての行動に共通する考え方です。その人の信念という様な場合もあります。仏様の場合は、それが悟りなのかもしれません。
 組織では、多くの人が同じ方向に向いて活動するために共通認識が必要になります。個人の意志のように、組織の方針が定められ、方針に沿った複数の行動規範が策定されます。儲け主義のような利己的(本能的)なものではなく、利他主義のような人間らしいものが多くの人の共感を得るためにはふさわしいかもしれません。そして、具体的なルールが定められて、組織として活動します。多くの場合、人は、ボトムアップで知識から意志を創り上げますが、組織は、トップダウンで方針から定める方が向いているようです。
 Show the FLAG!という言葉があります。主義主張を明確にしろという意味です。人同士、組織同士が共同作業をしようと考えた時、何を考えているかが分からない人達とは行動を共にできないという気持ちから出る言葉です。データ分析をするのであれば、その目的の明確化が重要だという事を書きましたが、我々は、人間です。AIではないので、「意志を持つ」ということが大切なのではないかと思います。また、これがこれからの世の中で重要になるように思います。